釜揚げそば(出雲地方)三瓶そば
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:17 UTC 版)
「蕎麦」の記事における「釜揚げそば(出雲地方)三瓶そば」の解説
三瓶山の山麓はソバ栽培に適した土壌で、三瓶山麓で薬用人参の栽培が安永2年(1773年)から始まると共にソバ栽培も盛んになって節目で食されるようになり、三瓶温泉の公衆浴場が1877年(明治10年)3月にできてそちらの献立に取り入れられた事や明治後半に三瓶高原が陸軍演習場になり兵隊に食されたことで広く知られるようになった。食糧が豊かになってきたことや農家の高齢化が進んできた事で昭和30年代後半にはソバ栽培が衰退していったが、1984年(昭和59年)、地産地消の三瓶そば復活を目指した有志によって「九一そばの会」が結成され、ソバ栽培や加工が復活し、1986年(昭和61年)、農林水産省の山村振興対策事業を導入し「三瓶製めん類加工生産組合」に組織改編して拠点となる加工場を建設、蕎麦産業の中心的役割を果たしている。割子・釜揚げ・山かけで食されることが多く、薬味はわさび、かつお節、のり、ねぎ等(ただし、大根は使用されない)を用いる。出雲そばとの大きな違いは、出雲そばが挽きぐるみに近いそば粉を使用するのに対し、そばの実の芯の部分のみを多く使用した(更科に近い)そば粉を使用する点。
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