釜戸馬場氏
釜戸馬場氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 20:25 UTC 版)
馬場氏は、源義仲(木曽義仲)を先祖とする家柄で、8代目の家佐が初めて馬場氏を称し、子孫の昌次が関ヶ原の戦いの時に、同じく木曾衆の山村良勝や千村良重と伴に妻籠城にて徳川秀忠を迎え、後に手勢を出して岩村城と明知城を攻略した功績によって、美濃国の恵那郡・土岐郡・可児郡の内で1600石を賜って旗本となったが、その後加増され土岐郡釜戸村の釜戸陣屋を拠点として2600石を有した。2代目の馬場利重は島原の乱の後長崎奉行を勤めた。また利重の妻は妻木城主の妻木家頼の娘である。後に恵那郡の275石の領地は分家した茄子川馬場氏が治め明治に至った。
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