金沢医大時代
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「金沢医科大学 (旧制)」の記事における「金沢医大時代」の解説
1923年3月:勅令第93号により金沢医専を昇格させ金沢医科大学が設立。初代学長は高安右人。同時に附属医学専門部・附属薬学専門部が設置。 1923年4月:医学科設置。附属医院に看護婦養成科設置。 1923年5月:第1回入学式。授業開始。 1924年 :須藤憲三 第二代学長就任。 1924年4月:開学式の挙行。 1927年3月:第1回卒業式。 1929年4月:附属医院看護婦養成科を看護婦養成所と改称。 1931年:学生定員を60名から80名に増員。 1932年9月:十全会から分離して十全同窓会が発足。 1939年5月:勅令第315号により臨時附属医学専門部を設置。修業年限4年で軍医育成をめざした。 1942年3月:勅令第182号により結核研究所を設置。 1949年5月:国立学校設置法により金沢大学医学部設立。医大は同大学に包括。 1950年4月:医大最後の入学式。 1952年3月:臨時附属医専廃止。 1954年3月:医大最後の卒業式。 1960年3月:法律第16号により廃止。
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