須藤憲三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 03:05 UTC 版)
須藤 憲三(すとう けんぞう、明治5年1月10日(1872年2月18日)[1] - 昭和9年(1934年)1月7日[1])は、日本の医師、医学者、医学博士、旧制金沢医科大学(現:金沢大学医学部)学長、生化学者。幼名は健蔵、後に上京してから憲三と名乗る[1]。日本における糖尿病研究の先駆者であり、尿糖の定量法を確立した。金沢医科大学病院に国内の病院としては初めて栄養部を設立し、1923年に栄養部長に大橋タカ子を登用している。日本の脚気史に於いては、臨時脚気病調査会委員を務めたことで知られる。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 須藤春一「Sutoh Kenzoh先生」『民族衛生』第40巻第6号、日本民族衛生学会、1974年、 318-324頁、 doi:10.3861/jshhe.40.318。
- ^ a b 山本博「金沢大学の糖尿病学」『ACANTHUS NEWS』第98号、2005年、 pp.966、 ISSN 1346-0684、2009年11月9日閲覧。
- ^ 田中静雄、竹田亮祐 (1978). “須藤憲三先生”. ディアベテス・ジャーナル社 6.
- ^ a b c d “郷土の偉人 医学博士須藤憲三”. 南陽市. 2022年8月26日閲覧。
固有名詞の分類
- 須藤憲三のページへのリンク