運用開始から付随車化まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:46 UTC 版)
「阪急96形電車」の記事における「運用開始から付随車化まで」の解説
本形式は1941年に入ってから営業運転に就役し、当初の目的どおり今津線で単行ないしは2両編成で使用されたほか、伊丹線でも単行での運用を開始した。車体の大きさは900形並みであったことから輸送力の確保には重宝したが、17m級の鋼製車体に51形や320形と同一のモーターではやはり低出力で、支線運用でもやや苦しい性能であった。こうしたことから、1943年に1形の19~32が今津線に転入し、1944年には600形と電装解除された1形及び90形が2両編成を組むようになると電動車としての本形式は余剰となり、1945年には電装解除されて、900形と車体寸法が近いことを生かして、モーター出力に余裕のある900形や650形の電動車グループの中間車として、譲受時に想定していなかった神戸本線での運用に充当されるようになった。 本形式は他社から譲受された車両でありながら、戦後の混乱期とはいえ阪急のメインラインである神戸線の主力運用に充当されるという、空前絶後の経歴を持つこととなった。900形の中間車としては、現在残されている写真を見ても前述のとおり900形とウインドシルのラインが揃い、上辺は少し高かったものの編成としての違和感はさほどなかった。650形と併結した場合は、650形の屋根が深くウインドシルのラインが高かったことから、650形の重厚さが目立ってしまった。当初はモーターをはじめとした電装品は撤去されたものの、パンタグラフは残されていた。その後パンタグラフは取り外され、パンタ台のみ残っていた。戦後の混乱期を過ぎても本形式は中間車として使用され続け、900形や650形の中間に挟まって阪神間を往復していた。
※この「運用開始から付随車化まで」の解説は、「阪急96形電車」の解説の一部です。
「運用開始から付随車化まで」を含む「阪急96形電車」の記事については、「阪急96形電車」の概要を参照ください。
- 運用開始から付随車化までのページへのリンク