運用開始と配備数の圧縮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:36 UTC 版)
「F-14 (戦闘機)」の記事における「運用開始と配備数の圧縮」の解説
F-14は初期導入機が老朽化しつつあったF-4の代替として1973年より配備が開始された。この年は第1次オイルショックによるインフレで諸物価が高騰、製造原価が海軍の買い取り値を超えた。グラマンは値上げを海軍に打診するも、海軍はなかなか首を縦に振らず、グラマンは多数のバックオーダーを抱えながら倒産目前にまで追いやられた。さすがに海軍も価格値上げを承諾せざるを得なくなった。 しかし同時に1973年は、アメリカ軍がベトナム戦争からの全面撤退が開始された年でもある。F-14の取得費用の高騰と、整備など諸費用が群を抜いて高いことが知られるようになると、野党の政治家をはじめとする各方面より強い非難を受けた。実際、民主党のハートキー(Hartke)とビンガム(Bingham)両上院議員から採用を非難する報告書が提出されるなどしたため、当初のF-14の配備予定数(722機)から最終的に313機にまで圧縮された。 その後も政治家やマスコミなどによる非難は止まず、更なる圧縮が計画されたが、当時のエルモ・ズムウォルト・ジュニア海軍作戦部長によって擁護され、免れることになった。 なおグラマン社の経営危機は、後述の通りイランが本機を採用したことによって、なんとか回避できた。
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