連邦主義者の時代 1780年-1815年
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「マサチューセッツ州の歴史」の記事における「連邦主義者の時代 1780年-1815年」の解説
ジョン・アダムズを中心に起草されたマサチューセッツ憲法が憲法制定会議を通り、住民は1780年6月15日にこれを批准した。この時、ジョン・アダムズ、サミュエル・アダムズおよびジェイムズ・ボーディンが「1780年憲法の序文」に次のように記した。 我々マサチューセッツ市民は感謝の心で偉大な世界の創造者の善意を認め、神の摂理の中で慎重にまた平和に機会を与えられ、不正や暴力や驚愕も無く、原始の明白な厳粛なる盟約を誓う。新しい市民政府の憲法を作るにあたり、我々自身と子孫のために神の示すところに従い、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の構築に同意し規定し成立させるものである。 マサチューセッツは奴隷制を廃止する最初の州になった。新しい憲法では政治の場に宗教を介入させないこととしたが、教会を支持させるために地方税の納入を義務付けた。非会衆派教会に所属するものは自分の教会に税金を払った(どこの教会にも属さない者は会衆派教会に払った)。バプテスト指導者アイザック・バッカスこの条項に激しく抵抗し、人々は宗教を支援する財政的なことについては選択の自由があるべきであるとした。 1786年から1787年にかけてマサチューセッツ西部でシェイズの反乱と呼ばれる武装蜂起が起こった。この反乱はダニエル・シェイズが指導し、過酷な負債や税金に怒った小農が多く集まっていた。負債を払えない場合にはしばしば債務者刑務所に収監されることになった。反乱は1786年8月29日に始まった。私兵として徴募されたマサチューセッツ州民兵が1787年2月3日にシェイズの主力軍を破った。この蜂起に対する制度上の対応方法が無く、連合規約を再評価する必要性が高まって、1787年5月に始まったフィラデルフィア憲法制定会議への強い推進力となった。
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