近隣諸国との関係・琉球の情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 12:03 UTC 版)
「14世紀」の記事における「近隣諸国との関係・琉球の情勢」の解説
元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船(寺社造営料唐船)の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「日本国王」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。 一方、当時の朝鮮半島でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た李成桂が高麗王朝を倒し李氏朝鮮が成立する。 琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明王朝に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。
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