農作・畜産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:37 UTC 版)
アルカイック期には、未だ耕作に適した土地が残されていた。それらの耕地は小さく、密集して、居住区の近くに集中していた。作物は非常に雑多で、一年を通して継続的に使用できるように、また、一種類の穀物が不作でも他の穀物で補えるように、様々な種類の穀物が同時に育てられていた。豆果と穀物(大麦とデュラム小麦)の輪作が行なわれ、耕地は隔年で休耕地とされた。それらの耕地のそばで、小作人たちは葡萄、オリーブ、果物や野菜を地域の内外で販売し、利益を得るために育てていた。次に重要視されたのは家畜である。特に羊と山羊は肉、乳、毛、そして堆肥を生産するが、維持が難しく、大きな群れを所有していることは莫大な富の証であった。牛は畜産的な生産物を増加させることができるが、維持費がかさむ。馬や、牛の大きな群れもまた、莫大な財産であった。 このような様式はアルカイック期以前から始まっていたと考えられ、この時代、鉄器と厩肥の使用が増加した以外に、農業において技術的な革新は特に起こらなかった。 農業に関する主な情報源はヘシオドスの『仕事と日々』である。この詩は、個人的に労働者を雇っている土地の持ち主が非常に少ない蓄えしか与えていなかったことを示している。生産品の多くは利益のために売られ、douloi、またはdmoesと呼ばれる奴隷によって生産されていた。そして雇用主はほとんどの時間を耕地以外の場所で過ごしていたのである。奴隷による労働に加え、賃金を求めて働く小作人や借金のために働く者もいた。この慣習は、紀元前8世紀の人口増加に伴って働き口が増えたことと、紀元前7世紀に法的に施行された借金と労働者の立場が社会的闘争の原因になっていたことを示している。
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