軽戦車の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 09:57 UTC 版)
第一次世界大戦後の戦間期から第二次世界大戦初期までは比較的広範囲に使用された。豆戦車と並んで安価であることが戦間期の軍縮ムードの中で重用され、植民地警備用にも多用された。特に戦間期のドイツでは戦車開発が抑制される中、戦車開発能力を身に付ける習作用や、運用技術を磨く訓練用として生産された。しかし第二次大戦で戦車が飛躍的な進化を遂げると、火力が低く装甲も脆弱な軽戦車は次第に活動の場を狭めていった。 それでも第二次大戦末期にはアメリカのM24のように以前の中戦車並みの火力を持つものが現れ、戦後もM41やAMX-13やSK105や62式などの強力な火力を誇る軽戦車が開発され使用された。また、M551やスティングレイ、M8 AGSの様に緊急展開部隊用に空輸可能な軽戦車も開発されている。これらは再度起こった戦後の軍縮ムードの中で主力戦車(MBT)の代替として配備されることになるが、朝鮮戦争やベトナム戦争で能力不足を露呈した。 MBTに対抗できないのはもちろん、歩兵の携帯火器にも脆弱で攻勢な任務に投入するには生存性が低すぎたのである。火力不足から歩兵支援任務も向かず、歩兵戦闘車あるいは機動性を向上させたMBTなどに代替されていった。そのため軽戦車は退役もしくは偵察など補助的な任務に専念することになる。
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