転覆事故と休廃車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/27 10:19 UTC 版)
「上田電鉄ハフ1形客車」の記事における「転覆事故と休廃車」の解説
1943年10月21日に上田電鉄が丸子鉄道と合併して上田丸子電鉄となった後も形式・車番ともそのままに運用されたが、本形式の客車代用ゆえの弊害が戦後になって現れた。1948年11月頃、菅平鹿沢線でポイントの切り替えミスによって真田駅構内から流転・逸走し、しばらく下り北本原駅構内において脱線転覆する事故(実際は筵などの障害物を構内に造って止めた結果なので荒療治)が発生、人的被害は皆無であったものの、手ブレーキの設備がなく非常時における制動手段を持たない本形式の極めて低い安全性が露呈した結果となった。 上田丸子電鉄ではこの事故を機に代用ではない半鋼製車体の付随車の購入を決め、1949年 - 1951年にかけて国鉄飯山線の旧飯山鉄道時代の車両合計7両・東武鉄道の旧秋田鉄道名義の車両1両(サハ20形の21 - 25・26とサハ40形、1949年購入分はハフ100形と称した)を購入し、この8両は4両ずつ菅平鹿沢線・別所線に導入した。これにより本形式は徐々に休車となった。 1950年の一斉改番でサハ10形11 - 14となっているが、改番後はほぼ運用機会はなかった。そして1955年に全廃、解体されたが、長期休車状態で放置されていたため、晩年は留置線で荒れ果てた外観を晒していた。
※この「転覆事故と休廃車」の解説は、「上田電鉄ハフ1形客車」の解説の一部です。
「転覆事故と休廃車」を含む「上田電鉄ハフ1形客車」の記事については、「上田電鉄ハフ1形客車」の概要を参照ください。
- 転覆事故と休廃車のページへのリンク