軍艦の発展(16~18世紀)
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「帆船」の記事における「軍艦の発展(16~18世紀)」の解説
16世紀に入ると帆船の主流はキャラベル船、キャラック船から海賊から身を守るため大砲を大量に積載できるガレオン船に代わっていった。軍船も同様に、ガレー船からガレオン船に代わっていった。ガレオン船は船首楼より高い船尾楼を持つことが特徴である。従来、竜骨の長さは船幅の2.5倍程度だったが、3倍まで船体の全長が長くなったことも特徴に挙げられる。ガレオン船は商船としても用いられたが、大量の大砲を搭載できたことから主に軍艦として用いられた。大航海時代の主役はポルトガルとスペインであったが、1588年、フランシス・ドレークらが率いるイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を破り、状況は一変する。スペインは大西洋の制海権を失い、イギリスが一大海運国として台頭するきっかけとなった。 17世紀後半から18世紀にかけて、軍艦は艦隊を組み、大火力による艦隊決戦をしばしば行うようになる。この時期に行われた有名な海戦としてトラファルガーの海戦(1805年)が挙げられる。艦隊の主力は「戦列艦」と呼ばれる2~3層の砲列甲板に合計50~130門の大砲をもつ艦種であった。戦列艦は20世紀の軍艦における戦艦や巡洋艦に相当する。戦列艦に比べ軽快な、1~2層の砲列甲板に合計20~50門の大砲をもつ「フリゲート」と呼ばれる艦種も登場してきた。18世紀初頭には従来の「舵取り棒」に代わって操舵輪が用いられるようになり、より効率のよい操船が可能になった(詳細は帆船時代の海戦戦術も参照のこと)。
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