軍艦を調達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:28 UTC 版)
京都守護職に就任し京へ着任する際、江戸から京へどのように行くかが討議された。京都の情勢探索にあたった藩士たちたちは軍艦で大坂に入ることを主張した。これは藩校日新館より江戸の昌平黌に学んだ若手の秀才たちの意見であった。当時としては時代の推移を捉えた斬新な意見であり、容保はこれに賛成、さっそく容保は幕府と交渉し2隻のスクーネル船を借用する。しかしその後、この海路案は西郷頼母など家老たちから猛烈な反対に遭う。「我らは山国に生まれ育ち航海の経験が浅い、主君に万一の危機が訪れたときはどのように守るのか」と轟々と反対され、遂に陸路と決まった。
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