軍最高評議会からムルシー政権までとは? わかりやすく解説

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軍最高評議会からムルシー政権まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 23:51 UTC 版)

タハリール広場」の記事における「軍最高評議会からムルシー政権まで」の解説

ムバーラク辞任後タハリール広場集まった青年勢力軍部の間で民主化プロセスについて話し合いが行われた。しかし、双方には感情的なわだかまり存在した青年勢力3月9日タハリール広場において、政権幹部起訴新憲法の制定イサーム・シャラフ首相に対してタハリール広場出向くよう求めデモ行った。これに対して軍部タハリール広場設置されテント強制撤去青年勢力逮捕行った2011年3月末、軍部全権掌握した。これに対して青年勢力4月8日大規模デモ実施呼び掛けた。これにはFacebook通じて22人の青年将校が軍を離反してデモ加わったタハリール広場集まったデモ隊対し、軍はおよそ300人の兵士動員し空砲連射しながらデモ隊強制排除行った青年勢力軍部対立が深まる中、青年勢力は、4月6日運動我らは皆ハーリド・サイードなどを中核とする革命青年連合結成した2011年7月革命青年連合中心として73組織勢力タハリール広場座り込み行った。この座り込み1か月わたって行われ軍政早期終了などが求められた。 2011年11月には抗議のなかで命を落とした参加者らの家族タハリール広場座り込み行った警察はこれを実力排除した同日金曜礼拝の後に数千人の抗議者らがタハリール広場向かって行進始め警官隊激しく衝突した。この抗議活動4日間にわたって行われ41人の参加者命を落とした。軍はタハリール広場周辺政府庁舎保護名目にして広場に繋がる道路コンクリートの壁を築いて封鎖した2012年大統領選挙が行われた。大統領選挙決選投票にまでもつれこみ僅差ムスリム同胞団出身のムルシーが大統領選出された。大統領選挙勝利したムルシーは6月29日タハリール広場集まった群衆の前で宣誓式典行った政権についたムルシーはムスリム同胞団に対して批判的な言論取り締まったタハリール広場においても、「タハリール美化政策」という名目で、青年らが広場中央部設置していたテント撤去し芝生植えて花壇設置したまた、ムスリム同胞団揶揄するグラフィティ白く塗りつぶした。しかし、グラフィティ塗りつぶされるたびに描かれ続け、「タハリール美化政策」は開始から1か月経たないうちに失敗した

※この「軍最高評議会からムルシー政権まで」の解説は、「タハリール広場」の解説の一部です。
「軍最高評議会からムルシー政権まで」を含む「タハリール広場」の記事については、「タハリール広場」の概要を参照ください。

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