車載客船から車両渡船へ改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:47 UTC 版)
「十和田丸 (初代)」の記事における「車載客船から車両渡船へ改造」の解説
当時の青函航路は、継続する高度経済成長による北海道内の消費水準向上や、農業・土木の近代化に伴う化学肥料や機械・車両の入り込みもあり、下り貨物輸送量の伸びが著しく、1965年(昭和40年)には300万トン(上りは328万トン)に達し、1963年(昭和38年)8月の津軽丸型6隻建造決定当時の予測を上回るもので、1966年(昭和41年)以降の貨物輸送の逼迫が予想された。そのうえ、旅客輸送の伸びも著しく、1965年(昭和40年)10月22日には津軽丸型の1隻の追加建造と、それに合わせ、稼働率不良の本船を1966年(昭和41年)秋でいったん係船することが決定された。 1966年(昭和41年)10月1日の変101便で十和田丸としての最後の運航を終え、一旦函館港内のブイに係船された。追加建造の津軽丸型第7船が十和田丸の船名を継承していたため、同年10月21日、石狩丸と改称のうえ、青函航路の逼迫した貨車航送能力増強のため、同年10月12日の理事会で車両渡船への改造が正式決定され、同年11月1日着工となった。
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