身体と感情の空間性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 02:46 UTC 版)
「ヘルマン・シュミッツ」の記事における「身体と感情の空間性」の解説
シュミッツによれば、身体と空間には、いわゆる伝統的な空間概念、すなわち、三次元的な分割・測定が可能な空間とは別種の、固有な空間性がある。身体自身は、まず自らが現われ、存在する場として感知されるが、これは「身体の狭さ(Enge des Leibes)」と呼ばれる。この狭さがとりわけ明瞭に現れるのが、激しい痛みや恐れのように、身体が一気に縮まるのが感じられる経験である。この狭さは、そのつどさまざまな明瞭さで現れるが、それだけで孤立して現れるのではなく、その周りには、茫洋とした広がり、分割も測定もできない独特なヴォリュームが感じられる。これが「広さの空間(Weiteraum)」である。また身体には、動きに伴って方向が生じる。「広さの空間」が、この身体的な方向に応じて分節化されると、「方向空間(Richtungsraum)」が生じる。この二つの空間は、次元をもたない広がりであり、三次元空間のような安定した構造をもたない。三次元空間は、シュミッツにおいて「場所空間(Ortsraum)」と呼ばれ、自己の身体を対象化することで成立する。また、「広さの空間」は、感情の広がりでもある。シュミッツは感情を「襲いかかる雰囲気」と捉える。彼において感情は、内面状態ではなく、春の陽気や秋の憂愁、葬儀の場の沈鬱、ロックコンサートの熱狂のように、空間的に広がり、外的に知覚されるものである。人間と空間のこうした開放的で力動的な関係は、自己がけっして自閉的な内面世界ではなく、周囲の世界や他者へと開かれた存在であることを、何より如実に示している。
※この「身体と感情の空間性」の解説は、「ヘルマン・シュミッツ」の解説の一部です。
「身体と感情の空間性」を含む「ヘルマン・シュミッツ」の記事については、「ヘルマン・シュミッツ」の概要を参照ください。
- 身体と感情の空間性のページへのリンク