足長神社とは? わかりやすく解説

足長神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:44 UTC 版)

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足長神社

拝殿
所在地 長野県諏訪市四賀足長山5386
位置 北緯36度01分30.82秒 東経138度08分01.98秒 / 北緯36.0252278度 東経138.1338833度 / 36.0252278; 138.1338833 (足長神社)
主祭神 脚摩乳命
社格 諏訪大社上社末社
村社
別名 荻宮
例祭 11月27日
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地図

足長神社(あしながじんじゃ)は、長野県諏訪市四賀にある神社諏訪大社上社末社旧社格村社

古くは葺きの屋根であったため荻宮と呼ばれていた。桑原城跡山腹に鎮座する。

祭神

別名を「足長彦神」といい、諏訪大社の祭神・建御名方神に随従する神。
日本神話では、建御名方神の先祖の奇稲田姫の父神の名として登場する。同じ諏訪市内には母神の名である手摩乳命を祀る手長神社もある。

歴史

『諏訪史跡要項[1]』によれば、桑原地域一帯が1つの郷であった頃は足長并・手長の両神を合祭していた。のちに上桑原・下桑原に分れた時、各地域住民の鎮守産土神として足長神を上桑原、手長神を下桑原に分祭したとされる。しかし、足長神社の鎮座する地名は足長山であり、また『諏訪資料叢書集録[2]』に収録された「神長本諏方上社物忌令之事下十三所名帳」の地名と思しき箇所に手長・足長がある事など、先に地名があった所へ記紀神話の脚摩乳・手摩乳を持ち込んだ可能性もあり、合祭・分祭については不明確である。

大同年間(806年-810年)には御表衣祝有員(みそぎほうりありかず、諏訪大社上社大祝の祖)が当社を崇敬して広大な社殿を造営した。以後は諏訪大社の末社に列した。天正6年(1578年)上社造営帳には、上桑原村の造宮で建てられたとあり、天保13年(1842年)に改築されている。

文化財

諏訪市指定文化財

  • 拝殿、舞屋(有形文化財) - 昭和63年指定
  • 本殿(有形文化財) - 平成6年指定

現地情報

所在地
交通アクセス

参考文献

  • 『日本歴史地名大系 長野県の地名』(平凡社)諏訪市 手長神社項
  • 谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃・飛騨・信濃』2000年 白水社

関連項目

外部リンク

  1. ^ 復刻版 諏訪史談会編『諏訪史蹟要項』郷土出版社 (1996) . NCID BN15058010 
  2. ^ 復刻版 諏訪教育会編『諏訪史料叢書』中央企画 (1983-1985). NCID BN05869505 




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