手長神社とは? わかりやすく解説

手長神社

読み方:テナガジンジャ(tenagajinja)

教団 神社本庁

所在 長野県諏訪市

祭神 手摩乳命

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

手長神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/27 18:10 UTC 版)

手長神社

拝殿
所在地 長野県諏訪市上諏訪茶臼山9556
位置 北緯36度02分44.9秒 東経138度07分15.3秒 / 北緯36.045806度 東経138.120917度 / 36.045806; 138.120917 (手長神社)座標: 北緯36度02分44.9秒 東経138度07分15.3秒 / 北緯36.045806度 東経138.120917度 / 36.045806; 138.120917 (手長神社)
主祭神 手摩乳命
社格 県社
別表神社
諏訪大社上社末社
創建 不詳
本殿の様式 神明造
例祭 9月15日
主な神事 相撲神事
地図
手長神社
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一の鳥居

手長神社(てながじんじゃ)は、長野県諏訪市上諏訪にある神社旧社格県社で、現在は神社本庁別表神社諏訪大社上社末社。

祭神

別名を「手長彦神」といい、諏訪大社の祭神・建御名方神に随従する神。建御名方神が諏訪大社に祀られる以前からこの地で信仰されていた神とされる。
日本神話では、建御名方神の先祖の奇稲田姫の母神の名として登場する。同じ諏訪市内には父神の名である足摩乳命を祀る足長神社もある。

歴史

創建の由諸は不明であるが、境内の近くには旧石器時代・古墳時代の複合遺跡である手長丘遺跡が、境内上方には茶臼山古墳群があり、周辺には古代から人が住んでいた[1]

古くは「手長宮」・「手長大明神」と称され、諏訪大社の末社であった。

元は桑原郷[2]の総鎮守で、足摩乳命とともに祀られていた。のちに鎌倉時代に桑原郷が上桑原と下桑原に分けられたとき、下桑原に手摩乳命を祀る手長神社が作られ、上桑原の足長神社とともにそれぞれの鎮守となったとされる。

領主・武家や庶民からの崇敬が篤く、高島城鬼門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守とされた。現在の社殿は天明年間に立川和四郎富棟が建築したが、昭和27年(1952年)に半焼し、修理された。

境内

摂末社

拝殿横に多くの摂末社が鎮座している。

主な祭事

文化財

諏訪市指定文化財

  • 拝殿(有形文化財) - 昭和59年指定
  • 旧本殿(有形文化財) - 平成6年指定

現地情報

所在地
交通アクセス

      上諏訪駅の東側の高台に位置し、諏訪湖を見下ろすことができる。

参考文献

  • 『日本歴史地名大系 長野県の地名』(平凡社)諏訪市 手長神社項
  • 谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃・飛騨・信濃』2000年 白水社

脚注

関連項目

外部リンク




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