趣味としての位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 04:23 UTC 版)
鳥類の特徴は、昼行性の種類が圧倒的に多い。さらに、鳥類は季節や環境により住んでいる鳥の種類が違い、変化に富んでいる。いつでも飛んで逃げられることから、人間の姿が遠くに見えてもすぐには逃げずに、じっくり観察が可能であるし、姿や声の美しいものが多い。したがって、いつでも何処でも探鳥を趣味として楽しむことができる。特別の道具を必要とするものでもないが、できれば低倍率の双眼鏡があれば鳥の表情やしぐさまで観察できる。小さな野鳥を遠くからカメラで撮影するためには高倍率の望遠レンズが適する。野生の動物に親しむには、鳥類はうってつけの動物である。また、哺乳類に比べ、様々な環境において観察可能な種類数が圧倒的に多いことも、コレクションの要素をも含む趣味として成立してきた。 ただし、野鳥はその全てが繁殖期にはことさら警戒心を増幅させるので、単に繁殖の様子を観察するだけでも問題が起きることが多々ある。こと猜疑(さいぎ)心の強い猛禽類に関しては、カメラのファインダーをたった一度向けただけで営巣や育雛を放棄することもあり、カラスのような利巧な野鳥については、観察者を特定し、その人物のみを狙って執拗(しつよう)に攻撃をしてくることも珍しくない。さらに珍鳥とされる鳥の繁殖情報が他の愛鳥家の耳に届くと、現地に多数の自称を含む愛鳥家が押しかけ、断わりもなく勝手に他人の土地に踏み入る、プライバシーそっちのけで傍若無人にカメラを向ける、撮影の視界に入った無関係の人間を怒鳴りつける、あまつさえお目当ての鳥は繁殖をあきらめ巣を放棄して逃げさるなど、顰蹙(ひんしゅく)を買って当然の行為が多発するのも日常茶飯である。ゆえに多くの愛鳥家が吹聴する、野鳥を観察する行為は、自然と人間との間に全く何らの相互作用も発生させない、というのは全くのデタラメで、愛鳥家のこのような考えが独善的と評価される一因となっている。 また日本で野鳥観察という趣味がまだ認知されていなかった1950から70年代には、野鳥観察に理解を示さない人々からは、双眼鏡を持ってうろうろする様子をのぞき趣味と揶揄(やゆ)されていた。現在に至っても、一部の人からそのように呼ばれることがある。
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