貿易と商業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:59 UTC 版)
北ヨーロッパでは海上貿易を推進する自由都市連合ハンザ同盟が、後にハンザ同盟を支配することになるリューベック市が1158年-1159年に創立されるとともに12世紀に結成された。アムステルダムやケルン、ブレーメン、ハノーファー、ベルリンなどの神聖ローマ帝国の多くの北部都市が、ハンザ同盟に加わった。例えば神聖ローマ帝国以外のハンザ同盟都市にケーニヒスベルク同様にブルッヘやポーランドのグダニスク(ダンツィヒ)があった。ベルゲンやノヴゴロドではハンザ同盟には工場や中間商人がいた。この時代、ドイツはプロイセンやシレジアに向けて神聖ローマ帝国の領域を超えて東ヨーロッパを植民地化し始めた。 13世紀後半、マルコ・ポーロというヴェネツィアの探検家が、中国に向けてシルクロードを旅した最初のヨーロッパ人の一人になった。マルコ・ポーロが東方見聞録で自身の旅を著すと、西洋人は極東について知ることとなった。ウィリアム・ルブルックやプラノ・カルピニ、アンドレ・ド・ロンジュモー, オドリック・ポルデノネ、ジョヴァンニ・デ・マリノッリ、ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノのような東方への数多くのキリスト教使節やニッコロ・デ・コンティのような旅行者が続いた。
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