貧困撲滅のための国際デー
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貧困撲滅のための国際デー(ひんこんぼくめつのためのこくさいデー、International Day for the Eradication of Poverty)とは、国際連合が制定した国際デーの一つである。毎年10月17日。[1]
- ^ International Day for the Eradication of Poverty, 17 October
- ^ “フランス - 第4 子供の貧困に関する法制度、施策の実施体制 (平成27年度『諸外国における子供の貧困対策に関する調査研究』報告書 - 内閣府)” (日本語). www8.cao.go.jp. 2019年5月5日閲覧。
- ^ 中村健吾 (2006年12月5日). “社会理論から見た「排除」――フランスにおける議論を中心に――”. CREI (経済格差研究センター) Discussion Paper Series (大阪市立大学経済学研究科) (No. 2) .
- ^ “Etre traités comme des jeunes et pas comme des assistés!” (フランス語). Joseph Wresinski FR (2017年2月6日). 2019年5月5日閲覧。
- 1 貧困撲滅のための国際デーとは
- 2 貧困撲滅のための国際デーの概要
貧困撲滅のための国際デー
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「ジョゼフ・ウレザンスキ」の記事における「貧困撲滅のための国際デー」の解説
1987年10月17日、ウレザンスキの呼びかけにより、飢餓、無知および暴力の犠牲者にオマージュを捧げるために世界各国から10万人がシャイヨ宮の人権広場に集まった。ウレザンスキは「あなた方のために証言する」と題する演説を行い、元欧州議会議長シモーヌ・ヴェイユの立会いのもと、人権広場に記念の石板を設置した。広場の一方の端にはすでに1985年に1789年フランス人権宣言(人間と市民の権利の宣言)第1条の「人間は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生き続ける」という言葉が刻まれた石板が設置されていた。この日、広場の他方の端に設置したウレザンスキの石板には、「1987年10月17日、あらゆる国の人間と市民の権利の擁護者がこの広場に集まった。彼らは飢餓、無知および暴力の犠牲者を追悼し、貧困は宿命ではないという信念を確認した。彼らは、世界中で貧困撲滅のために闘う人々との連帯を表明した。人間が貧困生活を余儀なくされているところでは人権が侵害されている。人権尊重のために団結することは神聖な義務である。―ジョゼフ・ウレザンスキ神父」と刻まれている。また、この結果、多くの国で10月17日を極貧と闘う日と定め、1992年の国連総会において正式に「貧困撲滅のための国際デー」とすることが宣言された。
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