豊臣方の作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:14 UTC 版)
軍記には豊臣方はこの決戦にあたり、以下の作戦を採ったとある。 敵を四天王寺の狭隘な丘陵地に引きつけ、誘引されてきた敵を攻撃する。 敵の陣形が伸びきって本陣が手薄になったところで、別働隊の明石全登を迂回して家康本陣に突入させ(あるいは別働隊が敵本陣の背後にまわったところで狼煙を上げ、それを合図に前後から敵を挟撃し)、家康を討ち取る。 また、豊臣秀頼に出馬を請い、全軍の士気を高めようとした。 一方で、合戦当日に岡山口主将大野治房へ発した軍令状には次の記述がある。 他の主将真田信繁・毛利勝永との合意に基づき、即時の戦闘・抜け駆けを禁じる。 茶臼山から岡山の間からの出戦を禁じ、違反したら即成敗する 前日の戦闘も遠方へ出陣したため不覚を取った。 今日の合戦は一大事、天下分け目の戦いなので治房一人が戦功を立てても意味がないので、軍法を固く守れ。
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