豊後国・岡藩とは? わかりやすく解説

豊後国・岡藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:56 UTC 版)

大分郡」の記事における「豊後国・岡藩」の解説

豊後国最大の藩であった岡藩藩学校として輔仁堂由学館、博済館、経武館、修道館などを持ち1803年には唐橋世済君山)らが『豊後国志』を編纂し、のちに幕府献上した。これによれば当時大分郡は9郷260町村有し、約61781石の租税収入があった。また豊後大神氏以来歴史長さのとおり、神祠仏寺史跡として城塁の数も多い。 国郡郷制の大分郡 郷町古跡1 笠和郷(かさわごう) 町: 府内松末、笠和、同慈寺、千手堂:六坊、律院太平寺椎迫志手勢家、駄原、生石大山白木田浦内成 2 荏隈郷(えのくまごう) : 古國府(ふるこふ)、羽屋豐饒(ぶにゅう)、畠中、奧小路、尼箇瀨、上、田中、井之永興りょうご)、竹上 旧豊後国府 3 賀来郷(かくごう) : 由原(ゆすはら)、金谷迫宮苑高崎山口、七曹子、來鉢(くはち)、赤野古原三船野田東院(とき)、賀來國分平横瀬中尾下市上市鶴田黑野北方向原(むかいのはる)、中、鬼瀨(おにがせ)、池上柏野海老毛(えびけ)、東行中畠、平牀、田代朴木、時、埴坪(はねつぼ) 高崎山城 4 阿南郷(あなんごう) : 櫟木(いちぎ)、五福蛇口久保岩下、透內、畠田瀨口大津留中尾、影戶、田口原、宗壽寺竹中、小挾(おばさ)、間(ま)、柚木平原長野葛原(かづらわら)、橋爪甲斐田東家六郎丸桑畠取、弓袋籠、中牟禮、平良石、小原、武宮、後田蓑草、直野內山、小袋、上淵、中淵、野畠、一之鹿倉、入小野奈良田瓜生田、富、下田向、知尾、大龍、山津留五箇瀨、龍原、袋、池久保筒口、中、小野、阿鉢、篠原、谷、馬籠(まごめ) 船ヶ尾城、ヶ尾城、権現獄城、ヶ鼻塞、玄鳥獄塞、辻臺堡 5 稙田郷(わさだごう) : 野原鴛野宮崎田尾寒田(そうだ)、石川光吉下宗方上宗方小野津留、雄城(おぎ)、本、粟野高城、秋岡、仲、市、世利田原口戶木上胡麻津留、塚野、廻淵(めぐす)、入倉野津原惠良、吉熊、辻原岡倉矢野原、竹內太田、今畠、原、尾、詰、湛水灰、酒野、下野尾、田野小野、堂尻、鬼崎横瀨 野山塞、雄城塢、野之臺塢 6 津守郷(つもりごう) : 下郡(南)、下郡(北)、羽田片島津守本曲、今曲、光永(上)、光永(下) 守岡古墳、守岡堡(もりおかとりで) 7 判田郷(はんだごう) : 昆布刈高江、住狀、米良高取、池吉、網河內安田、百木、赤仁田 8 高田郷(たかだごう) : 牧、萩原新貝、原、向原高松、山津、本三川、今三川乙津三佐海原千歲せんざい)、小池原葛木門田中島森町横尾大津留亀甲、南、川瀨常行上德丸、下德丸關門、堂園、國宗鶴崎、寺司、津留、迫、志、小中島家島 鶴崎城千歳城、高城堡 9 戸次郷(へつぎごう) : 眞茅松岡成松池上備後、川牀、市、楠木生(くすぎゅう)、佐柳(さなぎ)、小津留、大內門前、嶺、利光大塔冬田竹中岩上伊豫牀、鳥巢岩屋金、花香高城中野中牟禮、弓立樫原川原上尾、影木、長小野志津留月形、辻、宮尾、原、福良連城鶴賀

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