豊後吉岡氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/08 00:26 UTC 版)
大友氏から野津氏、そして吉岡氏へと分かれた。野津頼宗を祖とする。 豊後国の鶴崎地方を領し、千歳城、鶴崎城を築き居城とした。吉岡長増の子・鑑興は耳川の戦いで大友軍が島津氏に大敗した際に陣没するも、島津氏が豊後に侵攻し大友氏が滅亡の危機に立たされた際には、鑑興の遺子・統増が大友宗麟を守護し、また未亡人である妙林尼は居城を守って奮戦した。 文禄2年(1593年)大友義統が改易となると、家臣の吉岡氏も没落した。その後は細川氏に仕え熊本藩士として幕末を迎えた。
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