豊後上野氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:53 UTC 版)
家紋は丸に二引両とされ、足利一門上野氏の三代 上野頼兼の次男 上野直兼を祖とする豊後上野氏は、尊氏の腹心として九州下向に随従、上野氏一門の中で唯一九州に留まり、孫の上野氏繁の代に豊後守護大友氏の傘下に入る。代々、大友氏の当主より偏諱がなされ、上野繁兼、上野繁信は大友親繁の偏諱を、上野治信は大友親治より偏諱を、上野鎮信、上野鎮基親子及び鎮信の弟 上野鎮政は、主君大友義鎮(後の大友宗麟)より偏諱を受けている。 鎮信は大友宗麟に家政に関して諫言したものの聞き入れられず、一族は大友氏を離れ、龍造寺氏の家臣になった家系、帰農し庄屋として存続した家系とにわかれて存続した。異説としては、上記の豊後大神氏流ともいわれる[要出典]。
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