豊後国での宣教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:36 UTC 版)
「フランシスコ・ザビエル」の記事における「豊後国での宣教」の解説
ザビエルは、豊後国府内(現在の大分県大分市)にポルトガル船が来着したとの話を聞きつけ、山口での宣教をトーレスに託し、自らは豊後へ赴いた(この時点での信徒数は約600人を超えていたといわれる)。1551年9月、ザビエルは豊後国に到着。守護大名・大友義鎮(後の宗麟)に迎えられ、その保護を受けて宣教を行った(これが後に大友家臣団の対立を生む遠因のひとつとなった)。
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