警察官射殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 21:26 UTC 版)
1990年11月23日(高校生射殺事件の翌日)、覆面パトカーに乗った警戒中の私服警察官2名が、三代目旭琉会錦一家組員のXと同幹部のYに職務質問しようとしたところ、敵対する沖縄旭琉会の組員と勘違いしたXとYによって拳銃で射殺された。2名の警察官は至近距離からそれぞれ3発と1発の銃弾を受けており、ほぼ即死であったという。またXとYは、事件を目撃した主婦にも発砲し、足に重傷を負わせた。 翌日、被疑者Xは逮捕された。その後Xは、裁判で無期懲役の判決が下され、現在も服役中であると思われる。一方で、Yについては行方を晦ましており、指名手配されたものの、現在も行方は分かっておらず、死亡説もささやかれている。しかし、1999年10月までは、山口県下関市に潜伏していたことが分かっており、この時Yを匿った人物が、犯人蔵匿で逮捕されている。 この事件については、1990年に射殺された警察官2人の遺族ら10人が、実行犯の暴力団組員と使用者にあたる旭琉会最高幹部ら4人を相手に、約4億4000万円の慰謝料などを求める民事訴訟を起こした。この訴訟では、那覇地裁沖縄支部が被告側に3億2000万円の支払いを命ずる第一審判決を言い渡し、その後の福岡高裁での控訴審判決では、金額こそ減額されたものの約1億3800万円の支払いが再び命ぜられた。この控訴審判決は確定しており、賠償金については、2007年12月に全額完済されたことが発表されている。 2019年8月現在も指名手配されている被疑者Yだが、2000年10月頃に県外組織の援助を受けて京都府内の病院を受診した際、脊髄に癌が転移しており、自力歩行が困難な状態であったことが判明している。当時の症状より既に沖縄県外で死亡している可能性が高いと見られることから、沖縄県警は被疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検することを視野に捜査を進めている。
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