高校生射殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 21:26 UTC 版)
1990年11月22日、フェンスを取り付けるアルバイトをしていた高校生が、三代目旭琉会の組員と間違えられた結果、沖縄旭琉会の組員に拳銃で射殺された。実行犯3名はまもなく逮捕されたが、実行を指示した2名は指名手配され、それぞれ94年と95年に逮捕された。実行犯3名については裁判の結果、無期懲役と懲役20年の刑が確定した。 刑事裁判とは別に、被害者高校生の両親は実行犯3人に加え、富永会長と系列島袋一家の島袋為夫総長の2人にも損害賠償を求める民事訴訟を那覇地方裁判所に起こした。この民事裁判については、実行犯・会長側と被害者側の双方の上告によって最高裁まで争われたが、2000年12月19日に最高裁第3小法廷(千種秀夫裁判長)で上告審が開かれ、この上告審で最高裁は、会長らの共同不法行為責任を認め、約5750万円の支払いを命じた二審判決を「正当で是認できる。」として支持し双方の上告を棄却、これによって会長らの敗訴が確定した。暴力団抗争の巻き添え死で、暴力団のトップの責任を認めた最高裁判決はこれが初であった。
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