話題逸らしと「父同一」の詭弁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:26 UTC 版)
「エウテュデモス (対話篇)」の記事における「話題逸らしと「父同一」の詭弁」の解説
ソクラテスにつまづかされたディオニュソドロスとエウテュデモスが、話題を逸らそうと(再び「名詞が指し示す範囲を混同させる」極端な二分法を用いて)新たな主張を持ち出す。 エウテュデモスの主張を受けて、ソクラテスはそれでは自分は「善い人々は不正である」ことを知っているのかいないか問う。エウテュデモスは「善い人々は不正ではない」ことをソクラテスは知っていると答える。ソクラテスはそのことは知っているとした上で、自分が聞いているのはあくまでも「善い人々は不正である」についてであり、これをどこで学んだのか問う。そこでディオニュソドロスが割って入り、ソクラテスはそれをどこでも学んでないと言ってしまう。そこでソクラテスは、それでは自分はそれを「知らない」のだと指摘する。そこでエウテュデモスはディオニュソドロスに向かって、それではソクラテスが「識者」であると同時に「無識者」になってしまうのであり、これまでの言論がぶち壊しだと叱責する。ディオニュソドロスは赤面する。 ソクラテスは追い打ちをかけるように、エウテュデモスに「全てを知っている」はずの兄弟(ディオニュソドロス)が、間違ったことを言ったと思っているのか問う。そこで再びディオニュソドロスが割って入り、話題を逸らすために、自分がエウテュデモスの兄弟なのかと突然とぼけて疑問を呈す。しつこく自分の質問に答えるよう食い下がるディオニュソドロスに、ソクラテスは「ヘラクレスですら、水蛇(ヒュドラ)と蟹(カニ)の二者を同時に相手にできず、甥のイオラオスに助けを求めたのだから、ヘラクレスよりはるかに弱い自分も同時に2人を相手にできない。(しかも自分の場合、私のイオラオス(クテシッポスを指す)が助けに来ると、一層ひどいことになる。)」と、ディオニュソドロスとの問答を避けようとする。 ディオニュソドロスはその言葉尻を捉えて、今度はイオラオスはソクラテスの甥ではなく、ヘラクレスの甥であることを確認して問う。ソクラテスは仕方なく、イオラオスはヘラクレスの兄弟イピクレスの子であり、自分の兄弟はパトロクレスであると述べる。ディオニュソドロスにさらにパトロクレスのことを問われたソクラテスが、彼が異父兄弟であることを述べると、ディオニュソドロスはパトロクレスがソクラテスにとって「兄弟であり、また兄弟でない」(という矛盾した状態である)と指摘する。ソクラテスは、父親が異なるという点では兄弟でないと認め、自分の父はソプロニスコスで、パトロクレスの父はカイレデモスであると説明する。するとディオニュソドロスは、ソプロニスコスとカイレデモスは共に「父」であり、またカイレデモスは同時に「父ではない」(という矛盾した状態である)と指摘する。そして、エウテュデモスがその議論を引き継ぎ、カイレデモスが「父ではない」なら、ソプロニスコスも「父ではない」ことになり、ソクラテスは「父無し子」であると主張する。 そこにクテシッポスが割って入り、それでは2人のソフィストの「父」と、自分の「父」の関係はどうなんだと問う、両者の「父」は別人であると。しかしエウテュデモスは、両者の「父」も、また他の人々の「父」も、同一であると主張する。クテシッポスがその「父」は人間だけの「父」なのか、他の動物全ての「父」なのか問うと、エウテュデモスは、皆の「父」であると答える。クテシッポスが「母」も同様かと問うと、エウテュデモスは同様だと答える。クテシッポスが、エウテュデモスの「母」は海胆(ウニ)の「母」でもあり、エウテュデモスは子牛・子犬・子豚の「兄弟」でもあり、犬が「父」でもあるのかと問うと、エウテュデモスはそうだと認め、クテシッポスも自分と同じであると返答する。 そこにディオニュソドロスが問答でそれを承認させると割って入り、クテシッポスが犬を飼っているのか、その犬には子どもがあるのかを問い、さらにその犬は子犬の「父」ではないかと問う。クテシッポスは同意する。するとディオニュソドロスは、その犬は「父」でありながら「クテシッポスの(犬)」であり、したがって「クテシッポスの父」であるという、語彙の結合による詭弁を述べる。 さらにディオニュソドロスは、クテシッポスが言い返せないように続けざまに質問を行う。ディオニュソドロスはクテシッポスに、「犬を打つか」と問う。呆れた様子のクテシッポスは、「あなたを打つことできないのだから代わりに打つ」と笑いながら答える。ディオニュソドロスが、それでは「自分の「父」を打つことになる」と指摘すると、クテシッポスは「こんなに賢い息子さんたち(2人のソフィスト)」をお産みになった「父」を打つのは正しいことだとやり返し、さらにその「父」は2人のその知恵(詭弁術)からきっと善いことを沢山楽しんでいると皮肉を言う。
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