証券業への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 06:11 UTC 版)
「バンク・オブ・アメリカ」の記事における「証券業への進出」の解説
1987年のブラックマンデーから1992年までの5年間バンク・アメリカは1株当たり8ドルで取り引きされていた。事業整理が進んで1990年ごろ収益を回復し、機関投資家を資本参加させるにつれて株価は大きく反発した。国内外の拡大路線に回帰して、ミラノ支店を開いた。1991年、ヒューストンのヴィレッジ・グリーン・ナショナル・バンクと、そのミューチュアル・ファンド運用や租税回避を請け負っていたGNA証券を買収した。1992年、バンクアメリカはカリフォルニアでライバル社であったセキュリティ・パシフィック・コープと、カリフォルニアにある子会社のセキュリティ・パシフィック・ナショナル・バンク(Security Pacific Bank)を買収した。セキュリティ・パシフィックが1980年代後半に手に入れた広東銀行(Bank of Canton)も手に入れた。譲り受けた支店は、アリゾナ州、アイダホ州、オレゴン州やワシントン州にもあった。セキュリティ・パシフィックのワシントン子会社レイナー・バンク(Rainier Bancorp)は、連邦当局が売却させた。それ以降、バリー・バンク・オブ・ネバダを獲得することで、ネバダ州にまで経営を拡大させた。1993年、中国人民銀行の認可を得て広州市の代理店をフルサービスの支店に変えた。1994年、バンクアメリカはシカゴのコンチネンタル・イリノイ銀行を獲得した。バンク・オブ・アメリカは経営戦略を展開する店舗を設立するため、シカゴにその全国的な金融の部署を移動させた。1996年、ダヴィッド・コールター(David Coulter)が社長兼会長となった。バンクアメリカはノンバンクを自由化する、あるいはシャドー・バンキング・システムを拡張する規制緩和を望んだ。(グラム・リーチ・ブライリー法へ向かって)連邦法は緩和しだしたので、バンクアメリカは1997年にロバートソン・ステファン(Robertson Stephens)を買収することができた。翌1998年、バンクアメリカがネーションズバンクと合併した。ネーションズの子会社モントゴメリー証券(Montgomery Securities)は、ロバートソン・ステファンと協働することができなかった。ロバートソン・ステファンは1998年の間にバンクボストン(BankBoston)へ売られた。
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