討論会の開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 10:00 UTC 版)
天文学者ジョージ・ヘールは、亡き父親を讃えるべく、1914年から毎年ヘール講義と呼ばれる講義を主催していた。その講義では科学者の興味を引くような話題を取り上げていた。1920年、ヘールは、米国科学アカデミーの年次総会でこの講義を開こうと考え、アカデミーに提案した。 講義のテーマについて、ヘールは、当時話題となっていた相対性理論と島宇宙説の2つを考えていた。しかしアカデミー会員のチャールズ・アボットは、相対性理論は難しすぎるとして、さらに、「科学が進歩して相対性理論を四次元を越す空間に送り出し、再びそこから戻って私たちを悩ませることのないよう、神に祈ります」などと言って却下した。島宇宙説のほうも、聴く人が興味を示さないのではないかと難色を示した。代わりにアボットは、氷河期の原因についてか、あるいは動物学や生物学に関するテーマにしたらどうかと提案したが、最終的にはヘールの判断により、宇宙の大きさについての討論会を開くことに決まった。 討論会の参加者は、シャプレーとカーチスに決まった。当時シャプレーは35歳で、カーチスは47歳。シャプレーが観測結果から推論と時に直感を頼りに新しい理論を組み立ててゆく性格なのに対し、カーチスは観測結果を重視し、注意深く慎重に論を進めるタイプといわれており、性格面でも対照的な2人だった。 討論の手法については、2人の間に意見の相違があった。カーチスは、公開討論により両者の意見を徹底的に戦わせるべきだと主張したが、シャプレーはその案には乗り気でなかった。シャプレーはその当時、次期ハーバード大学天文台長の座に近い位置にいたので、討論で失敗するわけにはゆかないという事情があったからだと指摘されている。シャプレーはヘールに対し、2人が同じ話題でそれぞれ講演するというスタイルを提案し、認められた。講演時間は、シャプレーが各35分、カーチスが各45分を主張し、結果的には各40分と決まった。また、講演後に総括論議(一般討論)の時間を設けることにした。 討論会の前、シャプレーとカーチスは偶然にもワシントンへと向かう同じ列車に乗り合わせた。しかしこの場では議題について論じるのは控えることに決め、2人は花や古典文学について語り合った。
※この「討論会の開催」の解説は、「大論争 (天文学)」の解説の一部です。
「討論会の開催」を含む「大論争 (天文学)」の記事については、「大論争 (天文学)」の概要を参照ください。
- 討論会の開催のページへのリンク