言葉による描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:24 UTC 版)
最初期の文献の1つであるイブン・サードの『大伝記集』(Kitab Tabaqat Al-Kubra)には、言葉によるムハンマドの描写が大量に見つかる。アリー・イブン・アビー・ターリブに帰せられる記述は次のようなものである 。 アラーの使徒、アラーの恵みのあらんその人は、背が低くもなく高くもない。髪は巻き毛でもなくまっすぐでもなく、その2つの中間である。その人は黒髪の男で、頭骨が大きい。肌には赤みがさす。肩の骨は幅広で、手と足は肉厚だ。その人は、長いマスルバを持つ。それでその人の髪は首もとから臍まで伸びる。睫毛は長く、眉は短く刈りこまれ、額は平らでつるりとし、2つの肩の間は広い。歩くときは高いところから降りるときのように傾いて歩く。 [...]このような人は、後にも先にも私は見たことがない オスマン朝以降、上記のような文章はカリグラフィーの一種であるヒルイェのパネルに書き表わされるようになった。ヒルイェはふつう彩飾が施された枠で囲み、本かムラッカ(画冊)の形でまとめられる(後者のほうが多い)か、壁にかけられるように木枠に入れられる。装飾的なカリグラフィーという伝統は17世紀のオスマン朝の能書家であったハーフィズ・オスマンが創始したものである。作品にはムハンマドの外見についての具体的かつ技巧を凝らした人をひきつけるような描写が含まれていたが、能書家たちはその風貌については鑑賞者の想像に委ねることで、ムハンマドを絵画的に描いているという批判をかわすのであった。複雑なデザインが施された作品の各部には、上から下まで人間の体にちなんだ名がついていた。これは明らかにヒルイェは絵画の代替を目指した表現手段であったことを示唆している。 オスマン朝のヒルイェは形式的にバスマラを一番上に置くところから始まるのが通例になっている。そして間をあけて中央に「われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。」Quran 21:107という文章が来る。中心の円のまわりには4つの面があり、そこには正統カリフであるアブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの名前と、それぞれに「彼にアッラーのご満悦あれ」という言葉が並ぶ。 ハーフィズ・オスマンのヒルイェ ハーフィズ・オスマンのヒルイェ ハーフィズ・オスマンのヒルイェ メフメト・タヒル・エフェンディ(Mehmed Tahir Efendi,1848年頃) カザスケル・ムスタファ・イゼット・エフェンディ(英語版)のヒルイェ カザスケル・ムスタファ・イゼット・エフェンディのヒルイェ ムハンマドを象徴的に表したピンクの薔薇の花弁にしたためられたヒルイェ(18世紀)
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