観光リゾート地への変貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:51 UTC 版)
島の南端の風光明媚な地区を秩序だった観光地にしようと藤田観光を誘致し、キャンプ場が1960年代後半の観光ブームの時期にオープンしたが、国立公園内という制約もあり大規模な開発はできず、石油ショック後は業績が低迷し撤退した。 その後に島を文化的な場所にしたいという意向で町長・三宅親連と福武書店の創業者・福武哲彦との間で意見が一致し、急逝した福武哲彦の跡を継いだ福武總一郎が1987年に一帯の土地を購入し、1989年に研修所・キャンプ場を安藤忠雄のマスタープランでオープン。福武總一郎は「直島南部を人と文化を育てるエリアとして創生」するための「直島文化村構想」を発表し、1992年にホテル・美術館の「ベネッセハウス」建設などへと拡大する。 当初美術館は浮き気味で町民の関心も薄かったが、島全体を使った現代美術展(スタンダード展)、本村の無人の古民家を買い上げて保存・再生し現代美術のインスタレーションの恒久展示場とする家プロジェクト(正確には古民家の再生は2件、ほか1件は新築で残る1件は老朽化した神社の再生)などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになり、直島でしか見られないプロジェクトや建築は国内外からの注目も集めるようになった。アーティストの宮島達男は家プロジェクト第1弾の「角屋(かどや)」を創るに当たって町民125人を公募し、作品を構成する125個のデジタル・カウンタの明滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで、現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭した。 2005年には地中美術館、2010年には李禹煥美術館が開館し、本村の中もカフェや民宿等ができるなど徐々に変化しつつある。
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