福武哲彦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 経営者 > 実業家 > 福武哲彦の意味・解説 

福武哲彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 06:04 UTC 版)

福武 哲彦(ふくたけ てつひこ、1915年 - 1986年4月26日)は、日本の教師。福武書店(後のベネッセコーポレーション)の創業者[1][2]

生涯

岡山師範学校卒業後、教職に就く。1935年岡山県上房郡大和村立大和尋常高等小学校(現加賀郡吉備中央町立大和小学校)に教師として赴任。当時20歳であった。

その後県職員を経て、1949年(昭和24年)岡山市内に問題集などを取り扱う出版社株式会社富士出版を設立[1]。会社は1954年(昭和29年)7月20日に倒産する[1]

その後福武書店として、生徒手帳の印刷と年賀状の手本集を印刷し、富士出版時代の借金を返済。

1955年(昭和30年)1月28日、資本金50万円、社員6人で福武書店を株式会社化して再スタートした[1]

1963年(昭和43年)、いわゆる通信教育である通信添削『進研ゼミ』高校講座を始めた[1]。その後対象を小中学校に拡大、全国模擬試験を手掛けるなど、『福武書店』を総合教育情報出版会社として成長させた[1]1974年(昭和49年)、旧赤坂高等尋常小学校本館校舎を移設・保存する際には資金を提供した。1986年には進研ゼミは会員数100万人となり、通信添削業界のトップ企業となった[1]。学術図書や絵本、雑誌など多方面の出版にも業務を拡大した[1]

美術品の収集が趣味で、20世紀前半にアメリカで活躍した国吉康雄の代表作百数点やルノワールシャガールなどの名作を収集し[1]、福武コレクションと呼ばれた[1]

1986年4月26日、社内で執務中に倒れ、急性心不全のため岡山市の榊原十全病院で死去。享年70[1]。福武書店は長男の福武總一郎が継承した[3]

脚注・出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 「福武哲彦氏死去 100万人の通信添削、「進研ゼミ」育てる」『朝日新聞』1986年4月26日東京夕刊 19頁
  2. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  3. ^ 福武書店社長に福武総一郎氏 1986年5月25日 朝日新聞 東京朝刊

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「福武哲彦」の関連用語

福武哲彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



福武哲彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの福武哲彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS