西普天間住宅地区
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「キャンプ・フォスター」の記事における「西普天間住宅地区」の解説
面積: 50.8ha 返還: 2015年3月31日 1996年12月の「沖縄に関する特別行動委員会」SACO最終報告において、宜野湾市部分のキャンプ瑞慶覧、つまり西普天間住宅地区は、2007年度末を目途に返還することが合意された。宜野湾市と地権者は跡地利用の準備を開始し、2003年に「まちづくり計画」を策定したが、実際には返還されなかった。 2013年に日米政府が公表した「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」(日本版は仮訳) において、西普天間住宅地区は、2014年かまたはその後に返還されることが示された。同年、県と市と琉球大学が跡地を国際医療拠点とする新案を発表し、また普天間高校の移設や住宅地開発案をもりこんだ新案を発表した。 2015年3月、西普天間住宅地区 (約50.8ha) が返還され、不発弾探査や建物の除去などの支障除去措置が完了し、2018年3月31日に土地所有者等へ引き渡された。 2018年、この土地整備の過程で基地の下から100年前の普天間宮から伊佐方面に続く「普天間旧道跡」が姿を現した。道幅が4.5メートルもあるまっすぐに伸びた石灰岩の道で、宜野湾市史には、1915年に道路改修工事の入札公告が出されたことが記されている。沖縄戦の破壊を免れ、米軍に接収される前の当時の繁栄を今に伝える重要な遺構であり、跡地開発では住宅と道路ゾーンに指定されているが、遺構の保存を望む声は大きい。
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