西普天間住宅地区とは? わかりやすく解説

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西普天間住宅地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 23:03 UTC 版)

キャンプ・フォスター」の記事における「西普天間住宅地区」の解説

面積: 50.8ha 返還: 2015年3月31日 1996年12月の「沖縄に関する特別行動委員会SACO最終報告において、宜野湾市部分キャンプ瑞慶覧、つまり西普天間住宅地区は、2007年度末を目途返還することが合意された。宜野湾市地権者跡地利用準備開始し2003年に「まちづくり計画」を策定したが、実際に返還されなかった。 2013年日米政府公表した沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」(日本版は仮訳) において、西普天間住宅地区は、2014年かまたはその後返還されることが示された。同年、県と市と琉球大学跡地国際医療拠点とする新案発表し、また普天間高校移設住宅地開発案をもりこんだ新案発表した2015年3月、西普天間住宅地区 (約50.8ha) が返還され不発弾探査建物除去などの支障除去措置完了し2018年3月31日土地所有者等へ引き渡された。 2018年、この土地整備過程基地の下から100年前普天間宮から伊佐方面に続く「普天間旧道跡」が姿を現した。道幅4.5メートルもあるまっすぐに伸びた石灰岩の道で、宜野湾市史には、1915年道路改修工事入札公告出されたことが記されている。沖縄戦破壊免れ米軍接収される前の当時繁栄を今に伝え重要な遺構であり、跡地開発では住宅道路ゾーン指定されているが、遺構保存を望む声は大きい。

※この「西普天間住宅地区」の解説は、「キャンプ・フォスター」の解説の一部です。
「西普天間住宅地区」を含む「キャンプ・フォスター」の記事については、「キャンプ・フォスター」の概要を参照ください。

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