西宮市との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 23:52 UTC 版)
狭小な芝村の土地利用は、大正から昭和期にかけて限界に達していた。耕地は1922年(大正11年)に22町5反(約22.3ヘクタール)だったものが、1930年(昭和5年)で22町1反(約21.9ヘクタール)と縮小する反面、人口は1915年(大正4年)に戸数373・現住3976・本籍2899だったものが、1930年(昭和5年)で戸数535・現住2884・本籍3367と、世帯の増加と反比例する人口減少をみせていた。 武庫郡西宮町が市政施行する計画を打ち出した際、同村は市との合併を望んだ。1923年(大正12年)10月26日の村会では、以下のように決議された。 「 聞説近ク西宮町ハ市政実施スヘク準備中ナリト、之ニ対シ本村ハ地勢ノ関係及現在ノ状態ヨリ見ルニ、住民ノ一部ハ其ノ地域ニ居住シツヽアリテ逐年増加セントスルノ情勢ナレハ、茲数年ヲ出スシテ必スヤ西宮町ト軒檐ヲ連ヌルニ至ルハ火ヲ見ルヨリモ瞭々トシテ明ナリ、依是観是、将来ニ於テハ必ス編入サルヽノ運命ニ在ルモ其機運ヲ俟タス、現在ニ於テ同町ノ市政実施ト同時ニ編入サルヽヲ可トス、 」 西宮町は1925年(大正14年)4月1日にいったん単独で市政施行したのち、1927年(昭和2年)に「西宮都市計画区域」を制定し、芝村を計画区域に含んだ(今津町・精道村・大社村・鳴尾村・瓦木村・甲東村とともに)。1933年(昭和8年)4月1日、芝村は前述の自治体(精道村を除く)のうち、今津町・大社村とともに西宮市に編入された。住所表記上は村名を残さず、大字なしの区域となった。
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