複眼の思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 05:29 UTC 版)
「トヨタトータルクリーンシステム」の記事における「複眼の思想」の解説
トヨタはホンダがはじめにクリアしたマスキー法をクリアするために、あらゆる可能性を模索した。1964年(昭和39年)にガスタービンエンジン、1967年(昭和42年)にロータリーエンジンと電気自動車の研究を開始したが、これらは将来の排ガス規制の強化を見据えてレシプロエンジンの代替案として開発されたものであった。しかし結果としては技術的な課題が多く、商品化までに至らなかった。排ガス規制の強化とは別に、1973年(昭和48年)に発生した第一次オイルショックも、燃費の問題によるロータリーエンジンの開発中止という影響を与えた。 その後、酸化触媒とエアポンプ式二次空気導入装置、EGRを組み合わせ、後にTTC-Cとして商品化される事になる最初の触媒方式が開発され、1972年(昭和47年)に本田技研工業よりCVCCのライセンス契約を取得、後にTTC-Vとして商品化される事となる。同時に希薄燃焼の研究も進め、1976年(昭和51年)にTTC-Lとして実用化に成功した。 こうした同時平行的に開発された複数の方式を、販売ラインナップの各車両の性質に合わせて選定する事で、トヨタは昭和50年排出ガス規制をクリアした。トヨタは、これらの開発体制を「複眼の思想」と称して販促活動を行った。
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