装甲巡洋艦隊の完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/22 07:29 UTC 版)
「ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦」の記事における「装甲巡洋艦隊の完成」の解説
両艦は1875年にフリゲートに類別を変更され、結果、太平洋巡洋艦分遣隊には 4 隻のフリゲートが配備されることになった。この 2 隻に加えて、ロシア初の航洋装甲艦として就役していた「ポジャールスキー公」が大洋巡洋艦に改装され、巡洋艦隊を構成する 3 隻目のフリゲートとなった。こうして、1875年までに巡洋艦隊には 3 隻のフリゲートが就役した。 4 隻目は「ポジャールスキー公」の同型艦「ミーニン」になるはずであったが、幾度も設計変更が行われた結果、就役は遅れて1878年となった。そのかわり、「ミーニン」は当時世界でも最も強力な巡洋艦のひとつに生まれ変わった。巡洋艦隊を構成するクリッパーには、非装甲の鋼製の船体を持つ「クレーイセル」級 8 隻が充てられた。 1877年5月に発生したパコチャの海戦(スペイン語版)において装甲艦の揺るぎない優位が確認され、ポポーフの方針が正しかったことが証明された。この戦いにおいて、防禦装甲を有するモニター艦「ワスカル」は火力で上回るイギリス海軍のフリゲート「シャー(英語版)」とコルベット「アミシスト」からの砲撃に耐え、致命傷を負わずに逃げ切ったのである。 1860年代に設計された「ゲネラール=アドミラール」が就役する頃には世界の海軍はすでに次の時代、すなわち鋼製船体により強力で経済的な機関を搭載し速力の優れた艦船の時代に入っていたが、それにも拘らず、このシリーズは高い評価を獲得した。「喫水線に装甲帯を持つ装甲巡洋艦の理念を具象化するのに成功したのは、ロシアが初めてである」と評したイギリス政府は、自国でもそれに対抗する装甲巡洋艦を建造しようとした。しかし、その結果建造された「シャノン」以下各艦はいずれも成功作とは言い難かった。強化され、装甲の厚みもロシア艦よりも増えていたものの、重量増のために装甲が覆う面積を縮小せざるを得なかった。改良型の「ネルソン」級でも、さらなる武装と速力の強化のため装甲面積が削られた。最も近代化された「ノーザンプトン(英語版)」は、様々な工夫にも拘らず、速力は 14 kn に達するのがせいぜいであった。しかもあてつけのように「ノーザンプトン」は初期の航海で小さなスクーナーに衝突され、損傷を負った。この装甲帯を貼った最新型巡洋艦の喫水線は、小船によっていとも容易く突き破られたのである。
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