装甲師団 - シシリー - イタリア
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「第1降下装甲師団」の記事における「装甲師団 - シシリー - イタリア」の解説
訓練を完了しチュニジアへ送られるのを待っていたヘルマン・ゲーリング師団の残存部隊の幾つかが新生されるヘルマン・ゲーリング師団の基幹となり、師団はヘルマン・ゲーリング装甲師団と命名された。6月半ばに師団は戦闘体制が整い、予想される連合国軍の侵攻に対する防衛のためにシチリア島へ移送された。1943年7月10日、連合国軍のハスキー作戦の開始時にヘルマン・ゲーリング装甲師団は島の防衛に就いていた。師団の善戦は大多数のイタリア軍の防衛部隊の降伏によって妨げられた[要出典]。師団はジェーラとプリオーロ・ガルガッロを確保したが、連合国軍の上空と海上からの優勢な攻撃にドイツ軍部隊はメッシーナまで後退した。シチリア島からの撤退の訓練課程作戦(Operation Lehrgang)中にヘルマン・ゲーリング装甲師団は後衛部隊の任務を果たしシチリア島からイタリア本土へ渡った最後の部隊の一つとなった。 イタリア政府が連合国に降伏するとヘルマン・ゲーリング装甲師団はイタリア軍の武装解除を実施した。9月9日に連合国軍がサレルノへの上陸作戦を開始するとサレルノ地域に駐屯していた師団はこれの迎撃に送り込まれた。ドイツ軍の防衛部隊が降伏し始めると師団は戦闘を行いながらヴォルトゥルノ - テルモリ線まで後退した。そこの線を出来る限りの間防衛した後で師団はグスタフ・ラインまで後退し、最終的にはそこで休暇と再装備のために戦線から引き揚げられた。
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