被害者の生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 05:31 UTC 版)
被害者の少年は老舗の漢方医薬の卸問屋の娘だった母とその婿養子だった父と少年の幼い弟の裕福な4人家族の家庭の元で幼少期を過ごした。少年の母親は料理が出来なかったため、食事については菓子パン代のお金を少年に渡して済ませていた。母親は家業(仕事)一筋で家庭の事をあまりせず、家にも帰って来ない様な人だったと言い、不在がちだった母親の代わりに少年は幼い弟の面倒をみていた。その様な家庭事情から両親の喧嘩も絶えなかった。 被害者の少年は小学校3年生の時に両親が離婚し、少年は母親が引き取る事となった。そして少年は小学5年生頃から不登校となった。少年の家族は裕福な家庭であったが両親の離婚がきっかけで家庭崩壊となっていった。弟思いで父親が好きだった少年は母親の都合で一方的に離婚して父親を家から追い出した母親の事を好きではなかった為、少年は母親に反抗的だった。 被害者の少年は中学2年生の時に父親の住所を探し、一度父親の所に行った事があるが、すでに父親は他の女性と再婚し新しい家庭を築いていた為、少年は幻滅し「父親の所にはもう二度と行かない」、「父親も嫌いだ」と言い、二度と父親の所に行かなかった。そうなると少年は嫌いな母親の所にいるしかなく、この頃から母親に対して反抗的な態度を取るようになり、しばしば家庭内暴力を起こしていた。母親はそんな少年を、埼玉県浦和市にある神経サナトリウムに無理やり連れていき、精神科医の勧めで少年は3週間精神病院に強制的に鑑定入院させられた。これが少年の母親に対するさらなる不信感と憎しみを抱く様になり、母親に対しての暴力行為が酷くなっていた。身長が180cm近くもある大柄な少年が母親に恫喝するだけで小柄だった母親は息子に怯えていたと言う。
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