行動主義の台頭と変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:52 UTC 版)
詳細は「行動主義心理学」を参照 心理学の第二世代として行動主義心理学が登場し、心理学を科学とみなすために行動を実験環境で観察し計測すると主張した。1913年のジョン・B・ワトソンの「行動主義の見地から見た心理学」は、心理学の方向転換のための行動主義宣言とされている。行動主義の基礎となるのは、行動を変化させる学習は、報酬と嫌悪刺激(罰)によって変化するという理論である。行動主義は、戦争をはさんだ軍事学的な統制にも用いられた。20世紀半ばには、アメリカでは精神分析と行動主義は2大勢力であった。 動物実験により1903年にはイワン・パブロフによる古典的条件づけが発表された。B.F.スキナーの表記でよく知られるバラス・スキナーは徹底的行動主義を推し進め、1938年にはオペラント条件づけの研究が盛んになった。治療に関しては、1960年にハンス・アイゼンクが『行動療法と神経症』を出版する。行動主義のその行きすぎた傾向においては、心という概念なしに客観的な心理学としての観察研究ができるとした。しかし報酬と罰が人間の学習の決定的条件であるとする行動主義は様々な矛盾に陥った。 動物行動学は学習された行動ではない本能の重要性を明らかにし、条件づけの概念に疑問を呈し、コンラート・ローレンツは孵化したガチョウが最初に見た動物を親として学習する刷り込みや、遺伝的にプログラムされた求愛といった行動パターンを明らかにした。スキナーへの反発から成る「認知の革命」は心的過程へと再び焦点を戻したが、その契機となったのはノーム・チョムスキーである。オペランド条件づけでは報酬と強化による結果として人間が言語を学習すると考えたが、ノーム・チョムスキーは言語は生得的な普遍文法に沿って獲得され、遺伝的な能力で成長と共に成長することを提唱した。
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