行動主義への応答
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 06:04 UTC 版)
心理学における認知革命は認知心理学という形をとったが、この追究は当時、科学的心理学において支配的だった行動主義に対する応答としての意味合いを多分に有していた。行動主義はイワン・パブロフとエドワード・ソーンダイクの強い影響下にあり、初期の最も著名な実践者にはジョン・B・ワトソンがいた。彼は、心理学が客観的な科学になるためには、被験者の観察可能な行動に基礎を置くしかないという考えを持っていた。心的出来事は観察不可能なのであるから、心理学者は心的処理過程や心そのものの記述を理論で扱うことは避けるべきだ、と方法論的行動主義者は考えたのである。しかし、バラス・スキナーのような過激な行動主義者はこの追究に反対し、科学としての心理学は心的出来事を取り扱わねばならないと主張した。したがって、当時の行動主義者は認知(または私的行動)を拒絶したというわけではなく、心という概念を説明のための作り話として用いること批判したのである(心という概念そのものを拒絶したわけではない)。認知心理学者はこの方針のもと、心的状態に対して実験的探求を行うことで、より信頼度の高い予測が可能な理論を生み出した。 「認知革命」に対する伝統的な説明では、行動主義と心的出来事が水と油の関係にあったとされてきたが、ジェローム・ブルーナーはそれを否定し、次のように述べている。 [認知革命は、]意味という概念を心理学の中心に位置づけようとする全面的な試みとして特徴づけることができる。[…]それは行動主義に対抗する革命などではなかったし、心理学研究のためのよりよい方針を打ち立てるために行動主義に少しばかり心理主義を加えて改善させることが目指されていたわけでもない。[…]認知革命の目標とは、人間が世界との出会いの中で生み出した意味という概念を発見し形式的に記述することであり、それによって意味づけ(meaning-making)という処理が何を含意するかに関する仮説を提案しようとしたのである。(Bruner, 1990, Acts of Meaning, p. 2) しかし注意すべきは、行動主義が影響力をもったのはほとんど北米に限られており、認知革命のような反応は大部分においてヨーロッパ流の心理学の再輸入だったということである。ジョージ・マンドラーがこの観点から学説史を記述している。
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