心的出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:10 UTC 版)
「ドナルド・デイヴィッドソン」の記事における「心的出来事」の解説
デイヴィッドソンは論文「心的出来事」(1970年)で、心的出来事のトークンは物理的出来事のトークンと同一であると主張した(トークン同一説)。しかし、例えば空が青いと思ったりハンバーガーを欲したりする心的状態と、脳におけるニューロンの活動パターンといった物理的状態とのあいだに、法則性を見出すというのはちょっとありそうにない。従ってこの種の説はおかしいように一見思われる。しかしデイヴィドソンによれば、この種の法則的な還元は「トークン」同一説には必要ない。確かに、心的出来事の「タイプ」を物理的出来事の「タイプ」に対応させる法則は存在しないかもしれない。しかし個々の心的出来事の「トークン」がそれと対応する物理的出来事の「トークン」と同一であることは可能だからだ(タイプとトークンについては、タイプとトークンの区別、心の哲学参照)。つまり、デイヴィドソンの見解では、存在するのは「出来事」のみであり、その出来事が「物理的に」記述されたり(物理的出来事)、「心的に」記述されたり(心的出来事)するだけなのである。従って、ある一つの出来事トークンが同時に「物理的出来事」でもあり「心的出来事」であることも可能なのである。ここでデイヴィドソンは「非法則的一元論」を提唱する。「一元論」 というのは、心的出来事と物理的出来事は同一の出来事であると主張するからであり、「非法則的」というのは心的出来事と物理的出来事の「タイプ」は、厳密な法則によって結合しているのではないと主張するからである。 デイヴィドソンによると、非法則的一元論は次の3つテーゼからの帰結である。 1.エピフェノメナリズムの否定――「心的出来事は物理的出来事を引き起こさない」とする見解の否定。 2.因果の法則性――ある出来事のトークンが別の出来事トークンを引き起こす際には、それらの出来事トークンを支配する厳密な法則がある。 3.心の非法則性――心的出来事の「タイプ」と物理的出来事の「タイプ」の間を支配する厳密な法則は存在しない。 この三つの前提から、心的なものと物的なものの因果関係は出来事のトークンの間に存在するだけであり、心的出来事はタイプとしてみれば非法則的である、という見解が帰結する。従って非法則的一元論は心の領域の自立性を尊重してはいるが、基本的なところでは「トークン物理主義」であり、心的なものと物的なものとの間のスーパーヴィーニエンス関係を確保している。
※この「心的出来事」の解説は、「ドナルド・デイヴィッドソン」の解説の一部です。
「心的出来事」を含む「ドナルド・デイヴィッドソン」の記事については、「ドナルド・デイヴィッドソン」の概要を参照ください。
- 心的出来事のページへのリンク