蚕影山信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 07:18 UTC 版)
往時、茨城県一帯は養蚕業が盛んで、境内案内板にもある通り、養蚕にまつわる地名や神社が多数残っている。河川には鬼怒川(絹川、衣川)、小貝川(蚕飼川)、糸繰川などがある。日立市川尻町の蚕養神社、神栖市日川の蚕霊神社には、蚕影神社と同様、養蚕伝来に関する伝承が伝わっている。また、結城市小森(旧下総国。小森は蚕守の変化とも)の大桑神社は、東国に養蚕を伝来した阿波斎部(忌部)氏による創祀と伝えられる。 蚕影山桑林寺は、その金色姫伝説に基づき、当地を日本養蚕技術伝来の地とし、金色姫の垂迹たる蚕影山を本尊とする「蚕影山信仰」の総本山だった。世界大百科事典に「全国各地にある蚕影山信仰は、茨城県の蚕影山神社の信仰が流布したもので、この神社の縁起として、養蚕および蚕神の起源を説く金色姫の物語が中世末から近世にかけて語られていた。御伽草子《戒言(かひこ)》もその一つである」とある。 蚕影山信仰は、中世末期から養蚕業が日本の基幹産業であった昭和中期まで、長く現役性を保った。筑波郡案内記に「養蚕家の崇敬頗る厚く、遠近より参拝するもの極めて多し」とある。しかし、往古の信仰は、養蚕業の急速な衰退とともにした。境内には壮麗な社殿に対して、急速な衰退の痕跡といえる茶店・休憩所の廃墟が今も残る。
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