蚕業学校の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:14 UTC 版)
1899年(明治32年)乙種実業学校として高山社蚕業講習所を設立し、12月校舎を新築し、1900年(明治33年)4月甲種実業学校の認可を受け、1901年(明治34年)4月15日高山社蚕業学校と称し、6月14日校長に就任した。 1905年(明治38年)10月農商務省・群馬県の命で三俣愛策・黒沢貞吉と大連に渡り、満州安東県の柞蚕(英語版)業、韓国平安道・黄海道・京畿道・忠清道・慶尚道の蚕糸業を視察し、12月帰郷した。1910年(明治43年)大久保佐一と生繭共同販売会社を設立した。1911年(明治44年)甘楽社理事。また、藤岡銀行取締役を務めた。 1917年(大正6年)3月25日副社長高山武十郎を次期社長、高橋茂太郎と息子三郎を次期副社長に指名し、4月2日又は3日死去し、竜田寺に葬られた。法名は体信院円澄覚元居士。
※この「蚕業学校の設立」の解説は、「町田菊次郎」の解説の一部です。
「蚕業学校の設立」を含む「町田菊次郎」の記事については、「町田菊次郎」の概要を参照ください。
- 蚕業学校の設立のページへのリンク