蚕種保存風穴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:44 UTC 版)
「荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡」の記事における「蚕種保存風穴」の解説
蚕種貯蔵風穴数の上位県(明治43年)県名蚕種貯蔵風穴の数長野県 112 山梨県 20 岐阜県 16 山形県 12 長崎県 11 群馬県 7 江戸時代末期の開港以来、生糸や蚕種は日本の重要な輸出品となっており、明治時代に製糸業が発達すると、原料となる繭の増産が求められるようになった。しかし、蚕は基本的に春に孵るので、増産のためには蚕種が孵る時期を遅らせ、夏や秋に養蚕する数を増やす必要が出てくる。そこで活用されたのが風穴であった。 風穴は夏でも冷風が噴き出すことから、江戸時代には漬物の貯蔵場所などに活用される例があった。風穴は、気温の上昇が孵化の目安となる蚕を蚕種のまま留めおくのに適しているが、日本で最初に風穴を蚕種貯蔵に利用したのは稲核村(現長野県)の前田喜三郎で、1865年(慶応元年)5月のことだったとされている(稲核風穴)。風穴による蚕種貯蔵は、横浜で売れ残った蚕種を保存しておくことにも活用され、長野県のみならず、他の府県でも風穴の利用が見られた。しかし、数の点で他府県を凌駕していたのは長野県で、明治43年には全国1府33県に点在していた風穴240か所のうち、実に112か所が長野に集中していた。風穴が増えるようになると、国も蚕業取締規則(1911年)を制定し、蚕種貯蔵風穴を地方長官の許可制にするなど、規制を敷いた。 群馬県では、明治4年(1871年)に一度だけ風穴が利用されたが、あまり成績が良好でなく、このあと明治30年代後半まで見られなくなる。その群馬での本格的な風穴利用の初期に作られ、日本最大級の蚕種貯蔵風穴に成長したのが荒船風穴である。
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