蚕の密輸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 03:36 UTC 版)
「東ローマ帝国の養蚕伝来」の記事における「蚕の密輸」の解説
インドでキリスト教を布教したのち、551年までに中国にも伝道した2人の僧(おそらくネストリウス派)がいた。彼らは中国滞在中に、カイコガを育てて絹を生産する複雑な工程を目にしていた。これは東ローマ帝国にとって非常に貴重な情報だった。それまでは、絹はインドで生産されているものと考えられていたからである。552年、2人はユスティニアヌス1世に謁見した。彼らは皇帝から何かしらの寛容な約束を取り付けるのと引き換えに、中国から蚕を持ち帰る任務を請け負った。 成虫のカイコは体が脆く、適切な温度も守らないと死んでしまうため、2人はソグディアナでの人脈を駆使して蚕卵もしくは小さな幼虫を盗み出し、竹の容器に隠し持った。幼虫の育成に必要なクワは、この時2人が同時に持ち帰ったか、それ以前にすでに東ローマに輸入されていた。 2人はおそらく黒海を渡る北方ルートをとり、トランスコーカサスからカスピ海へ抜けた。最終的に、2人の旅は2年の時を要した。
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