薩埵正邦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/16 13:53 UTC 版)
- ^ 篠田正作『知識進歩立志之友』中村芳松、1892年
- ^ 「某氏君ノ才ヲ愛シ資ヲ助ケ」たと記されている(『法学協会雑誌』15巻8号859頁)が、「某氏」については不明である。
- ^ 安藤勝一郎編『三高等学校弁論部部史』三高等学校弁論部、1935年、8頁
- ^ 高木豊三や本野一郎も同じく京都仏学校で学んでいたデュリー門下であり、この薩埵の人脈が、後々東京法学校や和仏法律学校を支えていくことになる。
- ^ 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター・洞口治夫編の下掲書
- ^ 『早稲田大学百年史 1巻』P1035
- ^ 各校の生徒・校友、千五・六百名が参加。『五大法律学校連合討論会筆記一回二回』博文社、1888年、187頁。『東京法学校雑誌』3号、1888年3月25日、49-50頁。
- ^ 『官報』第2545号、「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『毎日新聞』1887年5月15日、4面。
- ^ 薩埵が翻訳した原稿259枚を河地金代に売却して出版されたもの(法政大学イノベーション・マネジメント研究センター・洞口治夫編・下掲書)。
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