飯田宏作とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 飯田宏作の意味・解説 

飯田宏作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 00:41 UTC 版)

飯田 宏作(はんだ こうさく、1856年7月9日安政3年6月8日) - 1912年大正元年)11月15日)は日本裁判官法学者教育者弁護士東京弁護士会会長、和仏法律学校(現・法政大学)校長心得。

略歴・人物[1]

1856年安政3年)6月8日、仙台に生れる。実父の飯田元作は仙台藩士。幼年期より才能を見込まれ、藩校の養賢堂で学ぶ。明治維新を経て、江戸昌平黌の元教授であった遠藤温(後に宮城県5区から衆議院議員)の書生となり、漢学をはじめ法律や経済を学んだ。1876年(明治9年)には司法省法学校の予科へ入学し、フランス学を修めた。さらに本科へ進むと、司法省の法律顧問であったジョルジュ・アッペールのもとで法律学を学び、1884年(明治17年)に法学士の学位を授かる。同年、大阪始審裁判所の判事として任官。1890年明治23年)には東京控訴院の判事に昇進した。また在任中は、代言人試験委員や判事登用試験委員も務めている。1893年(明治26年)1月に判事を依願退職し[2]、弁護士を開業。さらに東京弁護士会の会長に就任した。1897年(明治30年)12月には、和仏法律学校(現・法政大学)の校長心得に就任。1912年(大正元年)に死去、享年56。

主な著書

  • 『刑法.総論(和仏法律学校第2期講義録)』(東京法学院、1892)
  • 『刑法各論(和仏法律学校第2期講義録)』(和仏法律学校、1894)
  • 『刑法各論講義(和仏法律学校第1期講義録)』(和仏法律学校、1895)
  • 『日本刑法講義』(東京法学院、1890)
  • 『仏和会話指南』(寛裕舎、1887)

脚注

  1. ^ 在野名士鑑.巻の2
  2. ^ 任免裁可書・明治二十六年・任免巻一



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飯田宏作」の関連用語

飯田宏作のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飯田宏作のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飯田宏作 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS