飯田孝三
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飯田 孝三(いいだ こうぞう、1923年 <大正12年> 4月23日 - 2013年 <平成25年> 5月4日)は、日本の経営者。日本原子力発電社長を務めた[1]。京都府出身[1]。位階は従四位。
経歴
1946年に東京帝国大学第一工学部電気工学科を卒業し、1947年に関西配電(のちの関西電力)に入社[1]。1968年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1992年6月には日本原子力発電社長に就任[1]。1995年5月に会長に就任[1]。
1984年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等瑞宝章を受章[1]。
2013年5月4日胃癌のために死去[2]。90歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]。
脚注
- ^ a b c d e f 人事興信所 1999, い128頁.
- ^ 飯田孝三氏が死去 元関西電力副社長2013年 5月5日 日本経済新聞
- ^ <平成25年 2013年6月7日付 官報 本紙 第6062号 10頁
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第40版 上』人事興信所、1999年。
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